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冨士ベークライト株式会社 和輪話の会

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川柳・一行詩 7編

年齢・・・52歳 男性


トイレ掃除 毎日ピカピカ「ありがとう」

会社のトイレはいつもピカピカです。掃除をしてくださる方の気持ちを思うと、こちらの心もピカピカに洗われます。


年齢・・・35歳 女性


職場に いつも一輪の花「ありがとう」

職場にいつも花を生けていただき、明るく和やかな雰囲気で仕事ができ、感謝しています。


年齢・・・26歳 女性


おはようございます。明るい挨拶「ありがとう」

朝一番、今一歩体がシャンとしていないとき、大きな声で挨拶をしてもらうと「ガンバリこころ」に火がつき、やる気が出てきます。


年齢・・・57歳 男性


ドアを開け お帰りなさいに「ありがとう」

仕事で疲れ家路に着くと、ドアが開いて「お帰りなさい、お疲れ様」と家内の言葉に、こちらこそ「ありがとう」。


年齢・・・47歳 男性


出勤時 いってらっしゃい 「ありがとう」

毎朝出勤時、玄関先で「いってらっしゃい」にありがとう。
今日も一日がんばるぞ。


年齢・・・47歳 男性


子供が入院 家族親戚に 「ありがとう」

子供が小さいとき入院ばかり、家内だけでは体力も限界。
そんなとき家族親戚が交代で付き添い、血のつながりに「ありがとう」。


年齢・・・40歳代 男性


今日もまた 素敵な笑顔を 「ありがとう」

毎日、女性社員の方から素敵な笑顔を見せてもらい、やる気が出て元気になります。




「ありがとうの詩(うた)」第二集 9ページより

「初めてのありがとう」

年齢・・・60歳代 男性



 山や自然が大好きな私は、開聞岳や霧島高原の南九州の山々を散策した後、帰路の列車の中で、別府で一日のんびり過ごす予定を急遽変更して、半日程度の時間で登山出来る九重山へ登る事にしました。
 山から降りて来て、別府でゆっくり温泉を楽しむつもりで、荷物は全部、別府駅に預けて、“たかが半日コース”との思いで、ほとんど空身で登る事にしました。幸い快晴で、ほとんど空身であった事もあって、予定以上のスピードで登っていましたが、八合目を過ぎた頃から空模様が怪しくなり始め、頂上付近で土砂降りの雨に遭ってしまいました。雨具も食料も持たず軽い気持ちで登山していた私は、アッと言う間に、ずぶ濡れになってしまい、風で体温が奪われ体力の消耗を感じた私は、急いで下山する事にしました。
 生憎下山ルートは、雨のせいで足場が悪くなっていましたが、下山を急ぐ私は、八合目辺りで足を滑らせ、左足を軽く捻挫してしまいました。痛む足をかばいながらの下山は、予想以上に時間が掛ってしまい、空腹と喉の渇きがそれに追い討ちを掛ける事となり、下山のスピードは燦々たるものになってしまいました。それでも何とかキャンプ場近くまで下山し、やっと水にありつけた頃には、夕闇が迫る時間になっていました。
 九重高原のバスターミナルまでは、まだまだ距離が有りましたので、痛む足を引きずりながら急ぎましたが、バスターミナルが、何とか見える距離まで近づいた時に、一台のバスが動き始めるのが見えました・・・それが、最終便だったのです。
 観光地の夜は早く、私がバスターミナルに着いた時は、人影の無い有様でした。仕方なく、山並みハイウエイでヒッチハイクでもして別府へ行こう・・・と考え、一時間近くトライしてみましたが、何等成果が無く、夕闇が迫るに従って、更にヒッチハイクは難しくなる事を悟った私は、最寄の汽車の駅まで歩いて行く事を決意しました。ただし、距離も解らない観光地図を頼りに、山道を下り始めましたので、進むに従って、街路灯はどんどん無くなってしまい、懐中電灯も持参していなかった私は、月明りだけが頼りの様な山道を、大変心細い気持ちでとぼとぼと歩いていました。さすがに服はとっくに乾いてはいましたが、雨に濡れ、山道で汚れた、薄汚れた格好の私を、カーブミラーで確認した時は、この姿では、乗用車には乗せてもらえないな・・・と納得せざるを得ない有様でした。
 日もすっかり暮れて、何時に着くのかも解らない状況で、次の曲がり角が来たら、町の光が見えるかも・・・の希望を胸に、ほとんど真っ暗な山道を三時間近く歩いた頃、車のヘッドライトの光が近づいてくるのに気付きましたが、ヒッチハイクは無理と諦めていた私は、車の光に照らされる景色を眺めつつただひたすら歩き続けていました。
 そんな私の横に、何と軽四輪のトラックが止まって、中からおじさんが、どうしたの・・・と優しく声を掛けてくれたのでした。私にとっては、真に天の声でした・・・困窮の事情を説明した私を、おじさんは心優しく助手席へ乗せてくれました。そして、自分は配達の仕事の途中で、後三軒の配達が済んだら最寄の駅まで送ってくれると言ってくれました。また、道々色々話をする内に、何と、もし終電に間に合わなかったら自分の家に泊っていきなさいとまで言ってくれました。
 私は終電に間に合う事を祈りながら、荷物の運搬を手伝った結果、何とか終電前と思われる時間に駅前に到着しましたが、田舎の駅でしたので、人影も全然無く、心配したおじさんが、終電に間に合ったかどうか・・・私が確認して来るまで、車で待って頂けるとの事でした。私は駅に飛び込み、駅員さんを呼び確認したところ、約十分後に最終電車が来るとの事でした。
 早速、車に引き帰した私は、生まれて初めての“涙のありがとう”をおじさんとおじさんの車が見えなくなるまで、繰返しました。
 何とか、終電に乗れた私は、これで別府まで帰れる・・・ただし、今日は、車中泊か・・・と覚悟を決めて、終着駅までの眠りに就きました。



 ありがとうの思い出・・・忘れかけていた沢山の心温まる思い出がある事に気付きました。そんな中で、私が初めて“ありがとう”の重みを感じた出来事を紹介します。
 私は五人兄弟の末っ子で、両親や兄弟の加護の中でぬくぬくと育って来ました。そんな私が、親元を離れて一人生活を始めて一年程たった頃、先輩の勧めで一人旅にチャレンジし、すっかり虜になって一人旅の楽しさを満喫し始めた頃の出来事です。
 当時、私はたとえ無一文になっても切符さえ有れば、帰路は確保出来る事と宿が無い時は、鈍行列車を宿の替わりに出来る事から、気侭な一人旅の場合は、均一周遊券を好んで採用していました。今回の話は、そんな気侭な九州一人旅での出来事です。

「ありがとうの詩(うた)」第二集 39ページより

学びの糧

年齢・・・24歳 男性



めんどくせぇ……… それが口癖だったね
逃げ道を探して、うまくかわしてゆく
「やればできるのにやらない」
もう聞き飽きたよ…… めんどくせぇ……
ヒネクレ者で、叱られた数なら誰にも負けない

ぬるい環境じゃいち早く腐ってゆく
そんな僕が、今こうしていられるのも
めんどくせぇ環境の中に居れたから

ちょっと遅くなったけど
今じゃ伝わってる
あの厳しさのウラガワ
そして、心より感謝の意を表します



今まで数々のご鞭撻を賜った大人の方々へ

「ありがとうの詩(うた)」第二集 31ページより

「ありがとう」…

年齢・・・39歳 男性



親しくなればなるほど、何故か口幅ったく、何故か恥ずかしく、なかなか言葉に出せない「ありがとう。」
心から感謝しているのに伝えられない「ありがとう。」
きっと皆、「ありがとう」を重ねて親しくなり。「ありがとう」の数だけ関わる仲間が出来るのだろう。
大切なことは、例え相手に言葉で伝えられなくても、心から「ありがとう」と感じ、その感謝の気持ちを、自分の行動に現すこと。
きっとアナタにも、多くの人から、アナタに伝えきれていない「ありがとう」を受けて生きている。
そしてアナタも、多くの人に伝えきれていない「ありがとう」を抱えて生きているはずです。
毎日の、ふとした時に自分自身の心の中で、今まで、伝えられなかった人への思いを込めて「ありがとう」と言える人になりたい。



  言葉に出せる人、出せない人、様々ですが、伝え切れなかった「感謝」の気持ちを忘れずに、日々の行動に現せれば素敵な人生を送れるのではないでしょうか。

「ありがとうの詩(うた)」第一集 31ページより

ありがとう

年齢・・・30歳代 女性


うれしい時 
 一緒に喜んでくれた
  あなたに ありがとう
悲しい時
 そっと、慰めてくれた 
  あなたに ありがとう
つらい時
 応援してくれた
  あなたに ありがとう
楽しい時
 一緒に笑ってくれた
  あなたに ありがとう

遠くから あたたかいまなざしで
 そっと見守ってくれる太陽のように
 今まで めぐり会えた人に
  感謝の気持ちを込めて
  
   ありがとう。



今まで、出会えた人に対して書いてみました。

「ありがとうの詩(うた)」第一集 52ページより