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冨士ベークライト株式会社 和輪話の会

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母と妻へのありがとう

年齢・・・50歳代 男性



毎日の何気ない生活、同じ事の繰り返し。
そんな繰り返しの生活にも大変な苦労が有ります。
生きる為の“食”です。
私は今まで苦労もなく食べてきました。
さも、それが当たり前の如く。
生まれて結婚するまでは、母親に。
結婚してからは、妻に。
稼いでいるのは私だと言う大柄な考え。
大きな間違い!
一年365日、休みなく、献立を考え、料理を作り、
大変な苦労をかけていると思う。
我が家の女性、母、妻に
ありがとう。
これからもよろしくね。



これまで、当たり前のように家庭でいつもおいしい料理をつくり続けてくれる母と妻。我が家の女性の苦労にあらためて感謝したいと思いました。

「ありがとうの詩(うた)」第一集 30ページより

「初めてのありがとう」

年齢・・・60歳代 男性



 山や自然が大好きな私は、開聞岳や霧島高原の南九州の山々を散策した後、帰路の列車の中で、別府で一日のんびり過ごす予定を急遽変更して、半日程度の時間で登山出来る九重山へ登る事にしました。
 山から降りて来て、別府でゆっくり温泉を楽しむつもりで、荷物は全部、別府駅に預けて、“たかが半日コース”との思いで、ほとんど空身で登る事にしました。幸い快晴で、ほとんど空身であった事もあって、予定以上のスピードで登っていましたが、八合目を過ぎた頃から空模様が怪しくなり始め、頂上付近で土砂降りの雨に遭ってしまいました。雨具も食料も持たず軽い気持ちで登山していた私は、アッと言う間に、ずぶ濡れになってしまい、風で体温が奪われ体力の消耗を感じた私は、急いで下山する事にしました。
 生憎下山ルートは、雨のせいで足場が悪くなっていましたが、下山を急ぐ私は、八合目辺りで足を滑らせ、左足を軽く捻挫してしまいました。痛む足をかばいながらの下山は、予想以上に時間が掛ってしまい、空腹と喉の渇きがそれに追い討ちを掛ける事となり、下山のスピードは燦々たるものになってしまいました。それでも何とかキャンプ場近くまで下山し、やっと水にありつけた頃には、夕闇が迫る時間になっていました。
 九重高原のバスターミナルまでは、まだまだ距離が有りましたので、痛む足を引きずりながら急ぎましたが、バスターミナルが、何とか見える距離まで近づいた時に、一台のバスが動き始めるのが見えました・・・それが、最終便だったのです。
 観光地の夜は早く、私がバスターミナルに着いた時は、人影の無い有様でした。仕方なく、山並みハイウエイでヒッチハイクでもして別府へ行こう・・・と考え、一時間近くトライしてみましたが、何等成果が無く、夕闇が迫るに従って、更にヒッチハイクは難しくなる事を悟った私は、最寄の汽車の駅まで歩いて行く事を決意しました。ただし、距離も解らない観光地図を頼りに、山道を下り始めましたので、進むに従って、街路灯はどんどん無くなってしまい、懐中電灯も持参していなかった私は、月明りだけが頼りの様な山道を、大変心細い気持ちでとぼとぼと歩いていました。さすがに服はとっくに乾いてはいましたが、雨に濡れ、山道で汚れた、薄汚れた格好の私を、カーブミラーで確認した時は、この姿では、乗用車には乗せてもらえないな・・・と納得せざるを得ない有様でした。
 日もすっかり暮れて、何時に着くのかも解らない状況で、次の曲がり角が来たら、町の光が見えるかも・・・の希望を胸に、ほとんど真っ暗な山道を三時間近く歩いた頃、車のヘッドライトの光が近づいてくるのに気付きましたが、ヒッチハイクは無理と諦めていた私は、車の光に照らされる景色を眺めつつただひたすら歩き続けていました。
 そんな私の横に、何と軽四輪のトラックが止まって、中からおじさんが、どうしたの・・・と優しく声を掛けてくれたのでした。私にとっては、真に天の声でした・・・困窮の事情を説明した私を、おじさんは心優しく助手席へ乗せてくれました。そして、自分は配達の仕事の途中で、後三軒の配達が済んだら最寄の駅まで送ってくれると言ってくれました。また、道々色々話をする内に、何と、もし終電に間に合わなかったら自分の家に泊っていきなさいとまで言ってくれました。
 私は終電に間に合う事を祈りながら、荷物の運搬を手伝った結果、何とか終電前と思われる時間に駅前に到着しましたが、田舎の駅でしたので、人影も全然無く、心配したおじさんが、終電に間に合ったかどうか・・・私が確認して来るまで、車で待って頂けるとの事でした。私は駅に飛び込み、駅員さんを呼び確認したところ、約十分後に最終電車が来るとの事でした。
 早速、車に引き帰した私は、生まれて初めての“涙のありがとう”をおじさんとおじさんの車が見えなくなるまで、繰返しました。
 何とか、終電に乗れた私は、これで別府まで帰れる・・・ただし、今日は、車中泊か・・・と覚悟を決めて、終着駅までの眠りに就きました。



 ありがとうの思い出・・・忘れかけていた沢山の心温まる思い出がある事に気付きました。そんな中で、私が初めて“ありがとう”の重みを感じた出来事を紹介します。
 私は五人兄弟の末っ子で、両親や兄弟の加護の中でぬくぬくと育って来ました。そんな私が、親元を離れて一人生活を始めて一年程たった頃、先輩の勧めで一人旅にチャレンジし、すっかり虜になって一人旅の楽しさを満喫し始めた頃の出来事です。
 当時、私はたとえ無一文になっても切符さえ有れば、帰路は確保出来る事と宿が無い時は、鈍行列車を宿の替わりに出来る事から、気侭な一人旅の場合は、均一周遊券を好んで採用していました。今回の話は、そんな気侭な九州一人旅での出来事です。

「ありがとうの詩(うた)」第二集 39ページより

「いつも、いつまでも」

年齢・・・40歳代 女性



ありがとう
 ありがとう
  ありがとう・・・・・

私も、あなたのような母になります



母が倒れ、心配や不安やいろいろな思いが交錯していたとき、頭の中で何度も何度もこの言葉を繰り返していました。

「ありがとうの詩(うた)」第二集 19ページより

学びの糧

年齢・・・24歳 男性



めんどくせぇ……… それが口癖だったね
逃げ道を探して、うまくかわしてゆく
「やればできるのにやらない」
もう聞き飽きたよ…… めんどくせぇ……
ヒネクレ者で、叱られた数なら誰にも負けない

ぬるい環境じゃいち早く腐ってゆく
そんな僕が、今こうしていられるのも
めんどくせぇ環境の中に居れたから

ちょっと遅くなったけど
今じゃ伝わってる
あの厳しさのウラガワ
そして、心より感謝の意を表します



今まで数々のご鞭撻を賜った大人の方々へ

「ありがとうの詩(うた)」第二集 31ページより

年齢・・・20歳代 男性



 昔、僕は身体が弱かった。
あまり長く生きられないと言われましたが、
ここまで大きくなれました。
育ててくれてありがとう。



私は、生まれる前、心臓が止まっているとか、あまり長く生きられないとか言われていたそうです。そのことを知った時の気持ちを詩にしました。

「ありがとうの詩(うた)」第二集 47ページより