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冨士ベークライト株式会社 和輪話の会

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空に向かって

年齢・・・40歳代 女性



土のかおりの風が吹く日
降りしきる雨のなか
肌を突くような陽射しのもと
舞い落ちる銀杏の葉っぱを踏みながら
凍てついたグラウンドのうえ
あの頃はいつもあなたと一緒に走っていました
泣いたり、笑ったり、叱られたり、喜んだり、
めぐる季節の中、かけがえのない日々
なに気なく過ごしていたあなたとの時間が
今もなお、私にいろいろなことを教えてくれます
大人になって、今さらながらに
あなたの大きさを感じます

先生、見えますか?
あなたはひと足早く
あの夏一緒に見た流れ星になってしまったけれど
私はいつの間にか
あなたより歳とってしまったけれど
空は今も、あの頃と同じ色をしています
風は今も、あの頃と同じかおりがします

あなたに出会えたことの偶然に感謝します
きょうも、遠い遠い空に向かって静かに言います
「ありがとうございました」




若くしてこの世を去った高校の陸上部の恩師への想いを綴りました。

高校に入学してなんとなく入った陸上部、そこでこの先生と出会いました。先生曰く、「その年の新入生でいちばん見込みがないと思っていた。」という私でしたが、よき指導者と先輩に恵まれ、みるみる部活のとりこになってしまいました。
そして、いつしか大きな大会に出場できるまでに導いていただき、同時にたくさんの経験と思い出を授かりました。高校生活は、今の自分の礎となる、何物にも代えがたい三年間でした。
卒業から数年後、私が結婚して母となったころ、先生は30代後半で突然亡くなりました。陸上の練習が終わった直後に倒れたとのことでした。

今の自分があるのは、先生と会えたから、そしてその陰には、当時の先生を支えておられたご家族の愛情がたくさんあったこと・・・、大人になって、仕事に就き、家庭を持ってみて、先生はもちろんですが、見えない糸で繋がっていた多くの人たちにも、あらためて感謝するばかりです。

「ありがとうの詩(うた)」第一集 24ページより

山々の緑が美しく

年齢・・・48歳 男性



今年の春 山々の緑が 突然 目に飛び込んできました
今までに 感じたことのない 美しさです
こんなにも 木々が美しかったのかと 気づかされました

車から見る 流れる景色も 美しく 輝いていました
思わず 見とれて 運転が危ない時があります
この年になって 緑の山々が動く美しさを 感じることができました

青い空に 雲が流れる その光景に ちょっと驚きました
これまで 数回 紅い夕焼け空で 美しさを感じたことはあります
空を舞台に 光と風が 織り成す美を どうにかして 歌いたい気分です

夏が過ぎ 秋を迎えても その美しさは かわりません
何か 心か体に異変が起きたのかと 心配になりましたが
自然のもつ美しさを 生きている間に感じられたことを ありがたく感じます
何かの ご褒美を 頂いたのでしょうか

これから先 また よいことがあるのかもしれませんし
悲しいことが待っているのかもしれません
ただ 生命ある限り 美しい自然に感謝しつつ 愛する君と暮らしたいと思います

自然の美しさに ありがとう 
本当に 素晴らしいです



自然の美しさを感じる心を妻と分かち合って

 今年のある日を境に、何故か自然の美しさが目にしみて感じられるようになりました。そのことを知人や会社の方に話すと、「今日は雨上がりできれいなんでしょう」とか「新緑のこの時期は毎年きれいですね」とか、普通に感想を返して頂きました。
 しかし、その話を妻にすると、妻は私に「あなたの心の感性が高まったのではないでしょうか」と言ってくれます。「自然をはじめ、色々なものをより深く理解できるようになったのではないでしょうか」と。本当にそうであってほしいと心から願います。


「ありがとうの詩(うた)」第三集 32ページより

母と妻へのありがとう

年齢・・・50歳代 男性



毎日の何気ない生活、同じ事の繰り返し。
そんな繰り返しの生活にも大変な苦労が有ります。
生きる為の“食”です。
私は今まで苦労もなく食べてきました。
さも、それが当たり前の如く。
生まれて結婚するまでは、母親に。
結婚してからは、妻に。
稼いでいるのは私だと言う大柄な考え。
大きな間違い!
一年365日、休みなく、献立を考え、料理を作り、
大変な苦労をかけていると思う。
我が家の女性、母、妻に
ありがとう。
これからもよろしくね。



これまで、当たり前のように家庭でいつもおいしい料理をつくり続けてくれる母と妻。我が家の女性の苦労にあらためて感謝したいと思いました。

「ありがとうの詩(うた)」第一集 30ページより

「初めてのありがとう」

年齢・・・60歳代 男性



 山や自然が大好きな私は、開聞岳や霧島高原の南九州の山々を散策した後、帰路の列車の中で、別府で一日のんびり過ごす予定を急遽変更して、半日程度の時間で登山出来る九重山へ登る事にしました。
 山から降りて来て、別府でゆっくり温泉を楽しむつもりで、荷物は全部、別府駅に預けて、“たかが半日コース”との思いで、ほとんど空身で登る事にしました。幸い快晴で、ほとんど空身であった事もあって、予定以上のスピードで登っていましたが、八合目を過ぎた頃から空模様が怪しくなり始め、頂上付近で土砂降りの雨に遭ってしまいました。雨具も食料も持たず軽い気持ちで登山していた私は、アッと言う間に、ずぶ濡れになってしまい、風で体温が奪われ体力の消耗を感じた私は、急いで下山する事にしました。
 生憎下山ルートは、雨のせいで足場が悪くなっていましたが、下山を急ぐ私は、八合目辺りで足を滑らせ、左足を軽く捻挫してしまいました。痛む足をかばいながらの下山は、予想以上に時間が掛ってしまい、空腹と喉の渇きがそれに追い討ちを掛ける事となり、下山のスピードは燦々たるものになってしまいました。それでも何とかキャンプ場近くまで下山し、やっと水にありつけた頃には、夕闇が迫る時間になっていました。
 九重高原のバスターミナルまでは、まだまだ距離が有りましたので、痛む足を引きずりながら急ぎましたが、バスターミナルが、何とか見える距離まで近づいた時に、一台のバスが動き始めるのが見えました・・・それが、最終便だったのです。
 観光地の夜は早く、私がバスターミナルに着いた時は、人影の無い有様でした。仕方なく、山並みハイウエイでヒッチハイクでもして別府へ行こう・・・と考え、一時間近くトライしてみましたが、何等成果が無く、夕闇が迫るに従って、更にヒッチハイクは難しくなる事を悟った私は、最寄の汽車の駅まで歩いて行く事を決意しました。ただし、距離も解らない観光地図を頼りに、山道を下り始めましたので、進むに従って、街路灯はどんどん無くなってしまい、懐中電灯も持参していなかった私は、月明りだけが頼りの様な山道を、大変心細い気持ちでとぼとぼと歩いていました。さすがに服はとっくに乾いてはいましたが、雨に濡れ、山道で汚れた、薄汚れた格好の私を、カーブミラーで確認した時は、この姿では、乗用車には乗せてもらえないな・・・と納得せざるを得ない有様でした。
 日もすっかり暮れて、何時に着くのかも解らない状況で、次の曲がり角が来たら、町の光が見えるかも・・・の希望を胸に、ほとんど真っ暗な山道を三時間近く歩いた頃、車のヘッドライトの光が近づいてくるのに気付きましたが、ヒッチハイクは無理と諦めていた私は、車の光に照らされる景色を眺めつつただひたすら歩き続けていました。
 そんな私の横に、何と軽四輪のトラックが止まって、中からおじさんが、どうしたの・・・と優しく声を掛けてくれたのでした。私にとっては、真に天の声でした・・・困窮の事情を説明した私を、おじさんは心優しく助手席へ乗せてくれました。そして、自分は配達の仕事の途中で、後三軒の配達が済んだら最寄の駅まで送ってくれると言ってくれました。また、道々色々話をする内に、何と、もし終電に間に合わなかったら自分の家に泊っていきなさいとまで言ってくれました。
 私は終電に間に合う事を祈りながら、荷物の運搬を手伝った結果、何とか終電前と思われる時間に駅前に到着しましたが、田舎の駅でしたので、人影も全然無く、心配したおじさんが、終電に間に合ったかどうか・・・私が確認して来るまで、車で待って頂けるとの事でした。私は駅に飛び込み、駅員さんを呼び確認したところ、約十分後に最終電車が来るとの事でした。
 早速、車に引き帰した私は、生まれて初めての“涙のありがとう”をおじさんとおじさんの車が見えなくなるまで、繰返しました。
 何とか、終電に乗れた私は、これで別府まで帰れる・・・ただし、今日は、車中泊か・・・と覚悟を決めて、終着駅までの眠りに就きました。



 ありがとうの思い出・・・忘れかけていた沢山の心温まる思い出がある事に気付きました。そんな中で、私が初めて“ありがとう”の重みを感じた出来事を紹介します。
 私は五人兄弟の末っ子で、両親や兄弟の加護の中でぬくぬくと育って来ました。そんな私が、親元を離れて一人生活を始めて一年程たった頃、先輩の勧めで一人旅にチャレンジし、すっかり虜になって一人旅の楽しさを満喫し始めた頃の出来事です。
 当時、私はたとえ無一文になっても切符さえ有れば、帰路は確保出来る事と宿が無い時は、鈍行列車を宿の替わりに出来る事から、気侭な一人旅の場合は、均一周遊券を好んで採用していました。今回の話は、そんな気侭な九州一人旅での出来事です。

「ありがとうの詩(うた)」第二集 39ページより

「いつも、いつまでも」

年齢・・・40歳代 女性



ありがとう
 ありがとう
  ありがとう・・・・・

私も、あなたのような母になります



母が倒れ、心配や不安やいろいろな思いが交錯していたとき、頭の中で何度も何度もこの言葉を繰り返していました。

「ありがとうの詩(うた)」第二集 19ページより